不思議なもの見える人居ますよね。
お化けとか妖精とか。
私は見えません。だから、見える人に憧れて、見たいとずっと願ってきました。
目に見えない事を見ようと、目に見える事を蔑ろにして、見たい見たい。と願いました。
エネルギーや糸、質感、色で感じる事はあっても、具体的に見たかったのです。
幽霊なんて人生で一回も見たこと無いです!笑
一回も見たことないもんだから、見たい。見たい。と願いました。
ある日「そんなに見たいなら、見せてあげる」と言われて、感覚を頼りに知らない道を歩き続けました。
そして、気になる岩があって
恐る恐る近づくと、岩の中心に龍の彫刻がありました。
「ほら、あなたが望んでいた通り、具体的に見えたでしょ?」と
度肝を抜かれました。やられた。と思いました。
そういう事を言ってるんじゃ無いんだけどな。と思いました。
私があまりにも、もっとハッキリ見たいと願い続けたので、はいどうぞ。と提示されました。
私達が何故目があって、見えるのか。
見える事にヒントが沢山あり、見えないものを見ようとするよりも、見えるものをヒントにした方が楽です。
今ここにある、目の前の事を無視してまで、見えないものに執着する必要はありません。
だって、目があるのですから。
私は与えられてるものを素直に受け取らず、無い無いと言っているのと同じでした。
世界は意地悪なんかしてません、目に見える
肌で感じる、五感全てでヒントを優しく出してくれています。
目に見えない事に意識を向けたので
その内側が外側に反映されました。
目に見える全ての事がメッセージであって、あなたが探しているヒントです。
そもそも、目に見える事自体が奇跡で。
私達は最初から完璧だったんですよね。
忘れちゃってるだけで、焦らなくても大丈夫。
世界を信じて大丈夫です。
スピリチュアルに対する
過度な期待や、具体的なイメージが強すぎると、せっかくメッセージやヒントが現れても見逃してしまいがちです。
例えば、私の様に具体的に見たい。
と思いすぎて、せっかく色やオーラ、振動、ビジュアライゼーション、温度、数字でメッセージを送って来てくれても、目に入る事以外何も感じなくなってしまうんです。
具体的以外は認めない。
みたいなね。
だから、上手に受け取る方法は
ありのまま全てに委ね、そこに居るだけ。
何も考えず、自分を遠くから見ているだけ。
瞑想状態、世界と一体化している状態。
スピリチュアルな世界って素敵だけど
家族や友人から理解されない事が多いと思います。
理解してもらえるか”不安”
相手もスピリチュアルな世界に入ってしまった私を”不安’がってる。
何故
家族は私を不安がってはいけないのに、
私は家族に対して不安がるのでしょうか。
私が相手に対して不安がっているのに、何故
相手が同じ感情を私に向けられるとコントロールしたがるのでしょう。
そういう事です。
自分は怒ってるのに、何故相手の怒りは許せないのでしょう。
自分は分かってあげてないのに、何故自分を分かってもらおうとするのでしょう。
そういう事です。
何故、相手が不安がるのか?
それを分かってあげてないのに、自分だけ分かってもらおうは出来ません。
スピリチュアルなサプリメントは
人によって違います。
私に良いものは、必ずしも相手にいいもの
良いメッセージとは限りません。
スピリチュアルも好き。
でもここにある現実も大好き。
どちらかに偏るのは世界ではない。
両方愛してほしい。
自我も全部大好き。
全部世界だから。
この言葉は2割の人にはサプリメントになり
6割の人にはどうでも良いメッセージになり
2割の人には毒になるでしょう。
自分が感じた事を信じてほしい。