例えてみよう。
例えば、全ての物に意志があるとして、それがみなかわいい小鳥だったと仮定します。
- 今このブログを見ているスマートフォンも小鳥
- 本棚にならぶ本も小鳥
- 財布に入っているお金も小鳥
- 恋人も小鳥
- 家も小鳥
あらゆるものが全部小鳥だったとします。
もし小鳥が嫌な人は、カワウソでもハムスターでも猫、犬何に例えても大丈夫です。
彼らは全て自分の物や契約上、所有物なのかもしれませんが、自由意志があり誰の物でもありません。ですが、私達の側にいて一緒に時を過ごしてくれます。やがて小鳥の命が尽きたら去っていきますが、必要な時いつも一緒に時を過ごしてくれていました。
小鳥は必要な時を一緒に過ごし去っていきます。物への執着が手放せず苦しい方は、無理に手放す必要は無く、手放そうとしても手放せないのはあなたにまだ小鳥が必要なのでしょう。
小鳥の役目が終わったら小鳥は自然と羽ばたき去っていきますし、あなたが小鳥を手放したところで小鳥にも自由意志がありますから、あなたとまだ共に居たいと感じた時、小鳥は側で囀っているでしょう。
執着に対して執着する必要はなく、執着という感情もまた小鳥なのだと感じ、執着を自由にしてあげましょう。